ソース(MSN産経ニュース、「河村直哉の国論」、大阪正論室長)
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140517/waf14051707000001-n1.htm
写真=連日、紙面のすべてを使って世論操作…偏執的な偏向は「まともな新聞のすることだろうか」
http://sankei.jp.msn.com/images/news/140517/waf14051707000001-l1.jpg


 左傾メディアの存在に、百歩譲って日本の歴史においてなにがしかの意味があったとしても、もうその役割は終わっているのでは
ないか。というより、この期に及んであまりに左巻き、もとへ左向きの論調を垂れ流されては、日本にとって迷惑千万である。

■偏執的な偏向「まともな新聞のすることだろうか」

 たとえばこのところの朝日新聞は、集団的自衛権の行使容認に反対の大合唱だった。「安全保障の法的基盤の再構築に関する
懇談会」、いわゆる安保法制懇の報告書について、5月14日付朝刊1面は「憲法より安保優先」「国の最高法規 骨抜き」などの
見出し。「天声人語」は「暴走というほかない」「まともな法治国家のすることだろうか」。2面「報告書 力ずくの論理」など、複数面を
使って批判を強めた。

 憲法記念日の3日付朝刊は、偏執的ですらあった。「改憲 集団的自衛権で道筋」(1面)、「安倍首相 突き進む理由」(2面)、
「解釈改憲 『法の支配』危機」(3面)。6面は護憲派に都合のよい立憲主義に特化した特集面。10面、「(安倍晋三首相は)
【違憲状態首相】である」などとする、アジテーションめいた意見広告。

 いい加減うんざりされようが、しばらくお付き合いいただきたい。同日の12面社説は「安倍政権と憲法 平和主義の要を壊すな」、
同じ面の読者投稿「声」欄も憲法擁護オンパレード。極め付きは20、21面の2ページをつぶした意見広告で、おびただしい個人名を
小さくびっしりと連ね、色使いで「殺すな」と浮かび上がらせている。社会面も、「憲法の尊さ」を情動的に訴えるつくり。まったく、
「天声人語」ではないが「暴走というほかはない」「まともな新聞のすることだろうか」。

 安保法制懇が報告書を出した翌日の16日付朝刊も、大差なかった。朝日は「憲法の根幹 骨抜きに」(2面)、「殺さない国 岐路」
「戦場 知っているか」(社会面見開き)。毎日は「揺らぐ立憲主義」(2面)、「根拠なき憲法の破壊だ」(社説)、「近づく紛争の現場」
「よぎる徴兵の不安」(社会面見開き)。全体として、ほとんどヒステリー状態である。「徴兵」などという言葉が、集団的自衛権の議論と
どう関係するのか。

■公人として無責任

 個人の信条として非暴力や非戦の考えを抱くのは自由である。しかし先人から受け継ぎ後世に伝え残すべき国家について、戦後憲法
を金科玉条として祭り上げ、解釈変更にすらヒステリックに騒ぎ立てることは、無責任極まりない。

 集団的自衛権に戻ると、占領憲法を改正し軍隊の保持を明記するのが筋である。そのうえでの同盟であり集団的自衛であるべき
だろう。だが日本の安全を脅かす海外の力が現実のものとしてそこまで来ている状態で、「集団的自衛権は保有するが行使できない」
などとするこれまでの珍説をここで改めておくことは、国益上至極まともである。

 この、至極まともなことを国内で騒ぎ立てる方がむしろ異常なのだ。喜ぶのは中国や北朝鮮なのである。同盟国などとともに有事に
臨む、という姿勢を明確にすることは、中国などへの抑止となる。逆に集団的自衛権の行使をヒステリックに騒ぎ立てることは、
中国などを利することになる。一体、左傾人士たちは国の独立ということをどう考えているのだろうか。

>>2以降に続く)


第五の権力
第五の権力